幼いころからなんとなく生きにくいと感じてきた人は、けっして少なくないのではないでしょうか。それでも、紆余曲折がありながらも、なんとか自分を支えて生きているのだと思います。
けれど、ある日、張りつめていた糸がプツンと切れて、孤独で、どこを見まわしても行き止まりのように感じられ、「死ぬこと」に救いと安らぎを見出す自分がいる・・・こうした感覚を覚える人も、実は少なくないのではないでしょうか。
W.T.様も、生きることが苦しく、それでもそれを乗り越えようと、様々な治療やセラピーを受けられたり、ご自身で学んだりしながら懸命にがんばってこられました。でも、もう気力が尽きそう・・・。そんなときに、ご連絡をくださいました。
「死ぬこと」に心が引っぱられるときは、何はともあれ、前世療法が最初に必要なセラピーだと私は考えています。
「死ぬこと」を疑似体験できるセラピーだからです。「死ぬこと」を疑似体験すると、深いところで意識が揺さぶられますし、突破口のような光を見出すきっかけにもなるからです。
W.T.様は、セラピー後に以下のような感想を送ってくださいました。生きにくさを感じている方、死ぬことに救いを感じている方に、W.T.様が感じたことを共有していただければ幸いです。
W.T. 様のご快諾の上、以下に転載いたします。
W.T.様、本当にありがとうございました。
※文中の、ドアというのは、前世に入るためのドアのことです。
常世さま
昨日は大変長い時間有難うございました。
時間が経ってわかってくることもあると思うのですが、
今だからこそ書き残したいという思いも出て、書いています。
ドアの数字の2の反転
とても面白いと思いました。
反転して見えたのです。
2という数字をネットで調べたら、
2は数字における最初の偶数であり、
別々のものがひとつになるという調和や統合というような意味もあるほかに、
ふたつが分裂や対立することも意味しています。
とありました。それが反転してこちら側から見えたというのもドアに写っていたのも面白いなと。
逆に考えると過去の扉からこちらに戻る時には2が見えるわけですよね、
ということは過去から来る時にはこの2の意味を意識に入れて扉を開けてということかもしれないと思いました。
どういう解釈かまだはっきりは分からないのですが。
それと、時代と思い出したことなどを調べて照らしてみると割と合うなあということが幾つかあって、
カモミールはスペインに咲くの?と調べたら、スペインで一番よく飲まれるハーブティーと書いてありビックリしました。
そのことを全く知らなかったのです。
その映像が見えたのがとても不思議というか。
次にこれが見えるからねと常世さんに言われると割とその時点でパッと浮かぶことが多かったように思います。
少し途中、見えないと不安になったりもしたのですが、見える時はなんだか色も鮮やかな感じで、普段想像する世界とはまた違う感じですね。
帰り道、過去世、愛する人に出会えたことは素晴らしいことだと感じました。
直後にはとても感覚が鋭くなって多感に感じたのですが、時間が経つとまた変わるものですね、
出会いを思い出す感覚が女性の方が強いと最後にお聞きして、本当に今の思いが過去から来ているなら、このまま静かに去っていくのも何か悲しい気がするし、
でも一番はやっぱり今後も受けたりしながらもっと自分らしさを開拓するしかない、と思いました。
意識が違う方向を向いてとても苦しかった感覚から離れることができました。
ありがとうございます。
死ぬということがとっても大事なのですね。
ベッドから落ちて肉体が朽ちていった景色から最後魂が抜ける瞬間に光で包まれて、お城と、家と、魂の戻っていった場所の3箇所が光の線で結ばれるイメージが出ました。
それで死ぬということが完了された気がしました。
今日という日の中で、死ぬ、終わる、というのを些細なことにも意識してみたら、何かが変わった様に思います。
ケティーは女性の名前ですね。名前は正直しっかり出なかったのですが、
なんとなくの音で言いました。
実は、スペインは昔旅行で行った場所でした。でもあの時すごく鬱でした。
私はどうしてもあの地方に行きたくて、なのになぜか張り裂けそうな気持ちで陰で泣いていたのです。
来たかった場所なのに、何か大事なものに出会えない、本当に会いたいものに会えないそう思っていました。
何か悲しくて落ち込んでいたのでした。
それもこれと関係していたのかと思ったりして、時間が経ってからハッとしました。
ケティーからのメッセージは、自分の思考も入ってしまう感じがしたというか、あまり浮かびませんでしたが、これからふと聞こえてきたらいいなと思います。
大自然とつながる瞬間の感覚について常世さんと思いが似ていたことも嬉しく思いました。
あと、昨日思い出した楽しかった時のこと、すっかり忘れていましたが鮮明に思い出して驚きました。
記憶が私はほとんどないと思っていましたけど、校庭の細部まで思い出せましたし、本当に覚えているのだと思いました。
親にもあの頃のお礼を言うことができました。
またご報告やご連絡をさせていただきます。
大変ありがとうございました。
(W.T. 様 山梨県)