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S.様 ヒプノセラピー体験談(魂再生の記録)

S.様は、2015年春から2016年11月までの間、約2ヶ月に一度のペースでセラピーにお越しくださいました。S.様にとっては、心身共にきびしいセラピーでしたが、2016年の最後のセラピーを終えたあと、長いメールを綴ってくださいました。

S.様の魂が再生していく記録です。’愛された記憶’が、どんなふうにS.様の心を救っていってくれたのか、読者の皆様とシェアさせて頂けたら、と思い、転載いたします。

S.様、転載をご快諾くださって本当にありがとうございました。

(初セッション前の状況)

体調不良(首・顎・肩の痛み、頭痛、船酔いのような感じ、胃腸不良、強い生理痛、全身の皮膚病)が10年以上続いており、病院では、自律神経失調症や更年期等との診断、最後には精神安定剤も出されました。遅発性の食物アレルギーもあり、セッション当日の一番の悩みは、痛みで口を開けることができないことで、そのため、物を食べることにも不自由されていました。

一年前に愛犬を亡くされてペットロスも抱えておられました。

また、霊媒体質でもあり、首が落ちているのが見えたり、幽霊を見ることも茶飯事でした。
当セラピールームへお越しになる前に、一度よそで前世療法を受けられています。

幼少期、お母様から抱っこされた記憶はなく、つらく当たられ、他の兄妹と違って自分は嫌われており、実子ではないのでは、と疑ったそうです。あまりに辛いことの多かった幼少期へ戻るヒプノは望んでおらず、そのため、インナーチャイルドワークは、はじめからセラピーの選択肢から除外しました。前世療法を中心に据え、同時に、亡くなった愛犬に会いに行くペットロスのためのセラピーを継続していきました。

初回セラピー後、口を開けることができるようになり、首の痛みもなくなったことから、一番の悩みから解決されたため、セラピーはもう終了かと思われました。
しかし、実際は、これがS.様の心と身体が激変していくはじまりだったのです。

S.様は、優しい旦那様と優秀なお子さまに恵まれ、ご自身も好きなお仕事をされていて、客観的に見ると、とても幸福なご家庭だと誰もがいうでしょう。
ですが、S.様の心は、幼少期からずっと、闇の中にありました。

最も大きな理由は、特に、実母から、”愛されなかった” ことです。本来ならば、インナーチャイルドワークが必要不可欠と判断されますが、一貫してS.様には幼児期退行に対する強い拒絶がありました。そのため、幼少期の記憶については私もあえてお聞きしませんでした。前世療法とペットロス中心のセラピーで、どこまでS.様のお気持ちが闇から浮上できるかは未知数でしたが、もしもインナーチャイルドワークが必要な時が来たならば、必ずS.様からその申し出があるでしょうし、それまでは、S.様の話したくないことは聞き出す必要もなく、辛い闇への扉も、もし開けなくて済むのなら開けなくていいと思ったのです。

子ども時代に、゛家族の誰かから愛されていた゛という感覚や記憶を持っている方は、幸せです。けれど、現実には、家族からの言葉の暴力や身体的暴力が原因で、たとえどんなに長く生きても、深い心の傷を抱えたまま苦しんでいる方が大勢いらっしゃいます。人は、身近な人からの、温かく深い愛情を感じられてはじめて、心が安定し、自己肯定ができる状態になると私は思っています。現世の中で、その切望が叶わない場合は、どうしたらよいのでしょうか。

もし、セラピーをさせて頂くときの指針を一つだけあげよと聞かれたら、クライアント様の潜在意識を120%信じきることだと私は言います。S.様の場合も、S.様の潜在意識の進む方向へついていくことが、S.様を最良の状態へ導く最善の方法であると私は信じて疑いませんでした。

はたして、S.様の潜在意識は、どこを目指していったと思いますか。時をさかのぼり続けて、はるか昔の前世の、゛愛されていた゛記憶まで、S.様を誘導していったのです。
しかし、そこに辿りつくれまでには、たいへんきびしい前世をいくつも体験しなければなりませんでした。

そして、その間には、化学物質過敏症との診断も受けました。重度の食物アレルギーで食べるものがほとんどなくなり、さらに重度の化学物質過敏症です。セラピーには、化学物質過敏症の方のための特別なマスクをして電車で通ってこられていましたが、とうとう電車にも乗れなくなったため、ご主人が車で送ってくださるようになりました。体調悪化のため、好きだった仕事も、辞めざるを得なくなりました。何を食べても吐き、起きていても寝ていても気持ち悪いという状態で、
「このまま生きていてもいいのか」「家族に迷惑をかけるだけ」
 と、落ち込みながらの、心身共にきびしい状態でのセラピーが続いていきました。

11月のセラピーで、S.様は、一頭の馬と共に暮らす前世へと行きました。その馬こそが、S.様に深い愛情を注いでくれた唯一無二の母親的存在だったのです。それまでのセラピーの積み重ねは、この馬との前世に到達するための布石でした。

以下に、S.様から頂いたメールの抜粋を転載いたします。S.様の心の葛藤と変遷の記録であり、本来の魂を取り戻すまでの記録です。

※ メールの文面の、「かあさん」というのは、この馬のことです。
※ 常世*註とあるのは、わかりやすいように常世が註釈を入れた部分です。

(メール途中から抜粋)

あれもこれも全てが私自身。 全ての感情がここに至るまでの通り道。 現世の私が抱いている感情の通り道でした。

最期に道で血を吐いて死んでいくのに、誰一人立ち止まらず気にしてはもらえなかった男の前世。
お化けが見えると狂って、最期にレイプされて死んだ女の前世。
誰も頼れない、私には私を愛してくれる家族がいないと怨み死んでいった男の前世。
死にたい死にたいと毎日思っても自殺は出来ず、いざ死ぬときに今日じゃないのに、なんて思って死んでいった男の前世。
弟妹が目の前で崖から落ちたのを発狂しそうになりながら探し回っている最中に、私は今生きている!と快楽さえ感じている女の前世。
自分は気が弱いから、死ぬときに逃げ出しそうだからと自分に重しをして焼け死んでいった男の前世。
最後まで生き残った!!どんな凄い兵士よりも私は偉業を成し遂げたんだ!!と、口のなかに蛆をわかして息巻いて、一人寂しく死んでいった男の前世。
私を心から愛してくれる肉親さえいれば、もっと良い人生が送れたのにと心底思って死んでいった男の前世。

これらが今まで見た私の前世でした。

実は、私はかあさんにお願いをしていました。
ゆかり先生に会うときに、そばにいてね、と。
私に何か話しかけて、と。
それが「順番があった」とゆかり先生が言った言葉でした。

常世* 註 (12月に、S.様から、「お話したいことがある」とのご連絡を受け、セラピーという形ではなく、ホテルのレストランでお茶をしながら、お話を伺いました。きびしい前世をいくつも経験したあとで、愛情を実感できた前世に行くという順番を、S.様の潜在意識は予め決めていたのではないか、と申し上げたのです)

ここに至るまで見ていた前世が、今の私の感情に全て当てはまっている。状況こそ違えど感情は全て今に通じていた。一つ一つの前世に触れてさえも、かあさんの存在を知ってさえも、その事が私には分かっていませんでした。

そのたびに、私には悲惨な前世しかないんだ、ただそう思っていました。だから、今もそうなんだと。そういう「感想」でした。

ずっと私の頭や心の中、体じゅうに渦巻いてる、人や自分を怨み妬みする黒くて重いどろどろした川の流れがあったように思えます。今は、そう、思えます。

前世の自分が、いつも最後に、現世のSさんに言いたいことは?との問いに答えていた言葉にも、一つも私は心が動いてはいなかった。心から、分かってはいませんでした。私のような人間は、前世から腐っている。どんな前世でも腐った固まりのヘドロのような、そんなやつしか出て来ないんだ、と思っていました。

ゆかり先生の「順番」という言葉に、私はかあさんの言葉をかんじました。

全てが今の生きている私の感情。今の私です。
前世と思わせて、前世ではなく今の私です。
今の私だったんです。

常世* 註(以下は、かあさん(馬)の言葉です。S.様曰く、どんどんわき出てきたそうです)
 
おまえはどうしてなかなかわかってくれないのかね
体験すればわかると思っていた。なかなか頑固で。
可愛いぼうやだったのにね。芯はそんなに頑固だったのかね。そんなことないんだよ。頑固に固まっているんだ。今は。今までは。

力を抜いてごらん頭から。背中も。力を抜くと楽になるよ。頭の後ろが楽になる。頑固なんて柄じゃあないんだよ。好きなことだけ見ていなさい。力を抜いて。

温かみを感じなさい。私の体温を。手から感じる私の体温を。思い出しなさい。あなたの右手の手のひらから、私の体温は入っていく。それを感じなさい。
良い旅をした。あなたは良い旅をしたんだよ。立派だった。途中で投げ出すとも思っていた。でも、やり遂げるとも思っていた。見事だったよ。立派だったよ。もう旅は終わり。これからはカラー、色つきの人生だよ。色がつくよ。いろんな色だ。楽しみにしなさい。あなたのそばにいる。そばにいるから。見ているよ。立派だ。私は誇らしいよ。誉めてやるって言ったろう!?これだけ誉めれば、気持ちいいかい!?ハハハ
  
私も嬉しいよ幸せだ。

体を治しなさい。治すんだ。自分でね。頑固なおまえもまた良いよ。あいしている。
人生は良いよ。
味わいなさい。
寝なさいたくさん寝なさい。そばにいるから。

嬉しくて泣くってことありますか!?
そんなことあるんですか!?
嬉しくて幸せで身体が震えるなんてあるんですか!?
熱い涙が流れます。
今は、目をつぶればすぐそこにかあさんがいるのです。私は愛されています。

頭が痒いとか手が冷たいとかそんな些細なことでも自分の身体がいとおしいのです。腐って無くなってしまえと思っていた自分の身体を。私の回りの空気にさえも感謝するのです。そんなことあるんですか!?

自分が幸せに溢れたら、その幸せを私の大事な人に分けてあげたい。
まず一番に最愛の○○ちゃん(亡くなった愛犬: 常世*註)に送りたい。感謝と変わらぬ愛とこれからのエールを。それから、主人と○○君(新しく家族になった愛犬: 常世*註)に。それから、ゆかり先生に。

私、好きなこと、やりたいことが見つかった!!と、ゆかり先生に言える日が、そんな遠くじゃなくやって来るんじゃないか、と思えるんです。

ありがとう。本当にありがとう。

私の身体の中にある、黒い川の流れ出ていった軌跡に右手から温かいものが流れ身体の芯に巡っていきます。
前世で見たどこか懐かしい景色や空気は、現世の今、見ていても心には入ってきていなかった景色や空気でした。
現世で涙を流しながら懐かしんだ前世の景色が、あの時代もこの時代も、今の私がけして心から見ようとしなかった今世の景色でした。

ゆかり先生のところに初めて伺った、昨年の春。行きの電車の中から見えた、ハッとするほど美しく清らかな景色。あれこそがパラダイスと思えるほどの、美しく理想郷の1場面に出会いました。それから二十回以上私は電車に乗り(東京の往復も電車でした)毎回必ず、すずらんの里、青柳辺りをけして見過ごさないよう窓に張り付いて眺めました。でも、あの時一度きりで、どうしても見つけられないのです。今年こそ雪が降る前にはどうしても見たくて、主人に頼み込んで、線路づたいの道を地図で探しながらドライブに連れていってもらいました。
無いんです。どこにも無いんです。緑一面の山と山の織り成す美しい景色。季節は違えど、あの山並みが消えるはずはないんです。
がく然としました。私はそこまで馬鹿なのかと。思い込みが激しいバカ者。

でも、やっとわかったんです。
あれこそが、僕とかあさんが前世で見ていた、山あいの国に住んでいた時の景色。現世の私があの時一瞬見ただけで、山々の細かい稜線や山肌のぼこぼこした美しい重なりあいを全て覚えていたのは、前世にかあさんに笑われるほど毎日毎日好きで眺めていた景色だったからでした。

前世で見たと思っていたのが、現世で見ていた景色。
現世で電車に乗っている時に見たのが、前世の景色。

不思議です。本当に不思議です。そして、壮大なものを感じざるをえません。

愛はありますね。大きすぎて見えなかったんですね。

「かあさんそばにきて」
私が言います。すると、かあさんは

『これ以上近くなんてあるかい!?心の中だよ。最高にこれ以上はないってくらいの近くなんだよ。』

そうだね。本当にそうだね。かあさん。ありがとう。

ゆかり先生 私の人生のストーリーは意外と捨てたもんじゃあなかったと思ってくれますか!?

いろいろなたくさんの人を癒してきたゆかり先生に、頑張ったと誉めてもらえたら、とってもうれしいです。

私はこれからも毎日同じ道を○○君(新しく家族になった愛犬: 常世* 註)と歩いて行こうと思います。360°の広大な山並みをながめながら。
かあさんが教えてくれたきれいな日本の色とりどりの山並みを。

今日も歩いてきました。これでいい。これでいいんだと踏みしめながら。